
右腕を痛めてしまい、しばらくバイクに乗れそうもありません。
痛みで悶絶していたある日、なぜか自分のブログを開き、先月まとめたバイク写真を眺めていました。
ちょうど、原付二種生活10年目となる10月の記録です。
いつものように淡々とまとめたつもりでしたが、今回は少し違う感情が芽生えたので──
それを、ここに書き留めておきます。
動けない日、ふと見返した「いつもの写真」
毎月続けてきたバイク写真のまとめ。
正直、自己満足に近いもので、納得できないまま「また来月」と流していたことも多かった気がします。
でも今回、痛みで動けなかったその瞬間、
「こういう日のために撮っていたのかもしれない」──
そんなふうに、ふと感じました。
もしかしたら、いつか完全にバイクに乗れなくなる日を、どこかで予感していたのかもしれません。
「どこにも行ってない写真」だったのに
写っているのは、見慣れた茶畑、秋桜、彼岸花、くすんだ空、雑草だらけの路肩など。
派手さもなければ、旅情もない。
でも、今の私には、それがちょうどよかった。
「この10月、確かにバイクとここにいた」──
バイクとともに、季節がほんの少しだけ移ろっていく。
何も起こらない風景の連なり。
ドライで淡々としたその光景は、今の私にも受け入れられるものがありました。
もしこれが、人気スポットや仲間とのキラキラしたツーリング写真だったら、
「あの頃はよかったな」と、かえって落ち込んでいたかもしれません。
あるいは、見返すことさえなかったと思う。
痛みで動けないと、考えはどうしても負の方向へ傾いていく。
それでも、自然と眺められた過去のバイク写真。
──それは、今までになかった感覚でした。
無理せず続けた記録が、今を支えている
これまでも、体調を崩してバイクに乗れない時期はありました。
だからこそ──
行ける範囲、撮れる範囲、走れる日だけ走る。
無理をせず、そういうスタンスで続けてきました。
そうして積み重なった10年分の記録。
それは偶然かもしれないけど、今のように弱った状態でも、見られることが叶った写真でした。
派手さはない。
でも、自分の暮らしと季節の記憶が確かにそこに並んでいた。
それが、今の私にはちょうどよかった。
むしろ──そういう記録だったからこそ、支えになってくれたのだと思います。
いつかの自分のために

たぶん、またバイクに乗れる日は来ると思っています。
そうなったら、きっとまた同じように、ホームコースと愛車を撮るでしょう。
バイク写真まとめは、自分でも見返すことは滅多にないけれど──
今回のように動けなくなった日に、ささやかながらも救われた。
そして、いつかは訪れる「バイクに乗らない日常」という未来。
この記録は、誰かのためではなく、自分のために残してきたアーカイブです。
一度でもその記録に救われたのなら、これからも出来る範囲で続けていこうと思います。
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痛めた右腕については、いつかnoteで記載出来たらと思っています。



















